おはよう。
風ワルイな。
昨日は「さくっと」行ってみたら、MKTがおるやんけ。
AGNSも入ってた。
9さんも「撮影終了」ってところで。
望遠担いで、こっこえだろ?
あとは、BRのKNT、711、めい、おねいちゃんたち。
「イロがあって、ええねえ~」とMKT「ケツに目が行く。生殺しですね 笑)」
まあ、膝腰、乗れんこともねえが、「必死」こく波でもねえ。
ここのところ、「マコP」にまた人が戻ってきて、にぎやかになってきたぜえ~
MC/PCCのキャプテンも来てたねえ。
「今年はコロナの影響で、アメリカ行けんかったな」って。
そこから「防犯カメラ」の取り付けに挑戦してみたんだが。
それはまた後日ってことで。
そのあと、打合せが急に入って「街方面」に行った。
MRG+OMIに「おう、靴屋によれ。冷やかしていこうぜ~」
シッカリ作業してました。
「情報屋」も兼ねてるのか、豊橋の事情に異常なほど詳しい 笑)
「あそこはこうなる」「これからはこうやった方がいい」など、いろいろ教えてくれる。
もう8年になるんだ、ココ。
ああ、おれが「第1次SURF中断ブーム」に入ったころだったから、そんなもんか。
「粂くんに、呑みの誘いを先延ばしされてる」って苦情を言ってたなWW
そんな「情報屋」の気になるのは、やはりこの男。
DT6こと、東三河のパチンコ屋の宿敵「でっちゃん」 爆) だ。
20代の世は平成、「HELLにい」の相方としてdebut。
「デカイ方の太郎」=デタロウとなずけられる。
某一流自動車関連企業にあっさりと見切りをつけた彼は、その「豚足」で「道」を歩み始める。R42UNDERに「食事と酒の提供」という新しい文化を導入。
そう、伝説のアウトドアレストラン「ブロッコリー」の誕生だ。
刻は「戦国時代」西のKP、東のMRSPと間を取り持ち、若手の育成にも精通。
「カネは、金持ちからとればいい。若者よ、これを喰ってがんばれ」
「ミゴレン」となずけられた焼きそばを(うまくねえなあ~、なんかすっぱい・・・)と思いつつも喰ったあの味を、君たちも忘れてはいないだろう。
建工杯のステージ上で「ワンナイカーニバル」を披露し、盛り上がりの絶頂「さみしがり屋たちの伝説」を創ったのも、彼と彼の仲間たちであった。
そんな時、アクシデントに見舞われるDT6。
妹の「脱ぎっぷり」に涙した彼は、きっぱりとSURFINGに見切りをつけ、やがてクラブシーンに流れて行った。
「夜の街」は、彼にあっていた。新メニュー、おいしい「バーニャカウダ」を開発。
料理の世界でもその類まれなる才能を開花させ、ついに「ヤヴァい空間」を設立。
「酒池肉林」「青椒肉絲」「東南西北」へと、亡くなったおやぢが雀士だったことから、其の血が騒ぎ、クラブを「雀荘」へと変化させてしまったのだ。
しかしながら「全自動卓のあるクラブ」などお客に受けるわけもなく、彼は己が創り出した「ヤヴァい空間」を「ドヤベエ空間」へと変えてしまい、追い出された 笑)
「一般社会」という砂漠に放り出された彼に、世間の風は冷たかった。
しかしその人柄からか、なんとか「ボイラーの点検」という天職に就いてはみたものの、やはり「浮世の世界」を忘れられず、一昨日は「ジャグラー」をぶん回していたそうだ。
そんな彼は言う。
「ま~たぁ~、またどっか行きましょうよ~!」
そうかあ、もうすぐ冬が来る。
いつだったか、MKTと3人で「スケート」をやりに行ったことがあったなあ。
あの銀板の上で、一人だけ「フィギアシューズ」履いて、華麗に舞ってたDT6。
なぜあの時、一人だけ「フィギアシューズ」だったのか、なぜ足首から「鬼キャン」だったのか、今となっては思い出せねえ。
だが、心配するな。
オレとおまえとMKTがいる限り、「鬼キャンスケートクラブ」は不滅だ。
またいつか、あのきらめくステージを目指して、がんばろうじゃないか!!
今週末は、オレも休みだ。「ツケ」もねえ。
岸部四郎さんの代役も「MTT」に決まった事だし、悟空のGR、馬のSHTを集めて、天竺(京都)でも目指して、いっちょう「行くかあ!! 西遊記!!!」
じゃあの