しゅんすけ商店4

おれの周りの日常

忘年野郎

おはよう。

今週末はKSGG忘年会がある。

粂幹事、ITA段取りの今年最初で最後の会合には20名ほどが集う。

同じ趣味を通し、ある地域で出会ってきた者どもは昔を語り今を噛み締める。

「今夜は死ぬ覚悟で呑もう」

 

ってわけにもいかず、繰り広げられるであろう宴会芸でも楽しみにしていよう。

「よく海で会うヤツで呑むか?そうだ、忘年会をやろう!」確かそんな感じだったと思う。

もう30年以上前の話だ。

当時はまだ堤防の管理道路も整備されておらず、ポイントごとにSHOPの濃さがあった。

「このポイントにはこのSHOP」みたいな。

結果「忘年会」はその垣根をぶっ壊すことの象徴のような存在になる。

海で知り合い酒を酌み交わすことでさらに信頼感が増し、親しくなっていく。

年齢、性別を問わず集う。

その場で出会い、結婚したものも多数。

おかげさまで結婚式に招待、出席した数は20や30ではない。

「ご祝儀貧乏」な時代もあった 笑)

 

やがて周りに小さな子供たちが発生すると、潮干狩りやBBQ、お花見、キャンプ、ボウリング大会なども。

割り勘は女子供抜き、男だけで割った。

波乗りの仲間は千葉、九州、そして遠くはHAWAIIやBALIにまで拡大。

雑誌の表紙を飾るものまで出てきた。

 

当然、敵もたくさん居たがそんなものはただの色眼鏡で見ているだけ「混ざればわかる」と。

 そうしてきた。

「これからは殴るだけじゃ海を守れねえ」そうしたことからサーフィン協会を設立。

ゴミ拾いや津波避難訓練、海亀の保護。。。。 やることは増えていったがもともとこんなことをするために集まってたんじゃねえ。

「楽しく波乗りするため」だったものが利用され、「オトナ」の利益のためのようになり出してからはもう「魅力なし」

 そんな「くだらねえもの」のために活動することを辞めた。

 

そんな風になってったのはサーフィンの認知向上や自然環境のためでもカメの保護でもねえ。

 「自分らが楽しくやるため」だった。

 

それでよかったのかどうかは知らねえ、けど「楽しい時間」を過ごせたれたんじゃねえか? 笑)

忘年会、昔話はいいが小難しい波乗り事情は勘弁してもらいたい 笑)

「時代が違う」からよ、これからの若者は大変だねえ。

 

波無しの師走、あれ?今日はアメ? ええ??波出るかもw

いけるかなw 行ける時間あるかなw

海入らんかったら、少し体重が増えたよ 笑

 

寒いと甘いもんが美味いからねえw

 

それじゃあね、今日はふと思い出した「きっかけ」の話でした。

じゃあの