おはよう〜
今日も元気に「文化の日」
小波は続くよ、ど〜こまでも〜♪
昨日は昼前に「粂は雨、いとをかし」が会社にやってきた。
「おっさん、そういやあ誕生日だったら〜、これ〜」
はい、ノンアルです。
ありがとう、「いとをかし」
「永平寺、いつにする〜? おっさんからLINEきたらあ?そろそろ決めんといかんね〜」
彼は粂、いとをかし。
「今日は海どお?ちっせえらあ〜 オレにはちょうどいい。ウェット作ってさ〜 最近波乗りが楽しいじゃんね〜」
いいことだ。
「スポーツジム」からの救出に成功した瞬間だ。
彼は粂、いとをかし 笑)
数々の宴会芸で時代をリードしてきたので、若いみなさんは「粂のSURFING」は記憶にないだろう 笑)
しかしながら、一昔前は「WAVE-COLOR」(今はないSURFSHOP)を「引っ張ってた」(本人談:少しオヒレ)
愛車は「オニクラ」
座右の銘は「どたり〜」
称号「ドタリスト」「寿野郎」
彼を取り巻くw笑いの渦は、今や「岩田の祭り」をとり仕切る「TO」に、色濃くダメージを残した 笑)
この「コロナ自粛」の中、あの祭りを強行するメンタルの強さは、この「「お笑い界」の中で培われたのであろう。
その先駆者である「いとをかし」
今月中に、日本海に「ぶち込んだる」笑)
ここでついに「自粛」についてのオレの見解を置いておこう。
あくまでも「オレの見解」なので、お前らはそれぞれ判断するがいい。
いろいろな人が集まり、コロナに感染するリスク、感染させるリスクがある中で「集まり」を行うのを「自粛」しよう、という動きについてだ。
「自粛」とは、「自分で進んで、行いや態度を改めて、つつしむこと」とある。
オレが注目したいのは「自分で」というところ。
状況や周囲がどうであれ、「自分の判断」がまず一番先にあるんじゃないか。
オレはそれを「最優先」した考え方に賛成だ。
「やる」のも「やらない」のも、各々がよく考えた上でのこと。
「やって言われえるリスク」も「やらなくて後悔する」のも一緒。
その時々の判断は、個人のものであって、集団の心理に沿うもので無くてよいのではないのか。
もちろん「クラスター」など出してしまい、社会的に思いっきり「ディスられる」ことも念頭に入れての判断だ。
「感染した人」は「感染者」を恨むだろうが、感染者も元は感染していなかった人で、進んで感染したわけじゃない。
コロナはインフルエンザと云々言う人もいるが、そんなことより先に
「地球上でみんなで暮らしてる」んだ。みんな「繋がってる」
もちろん生きていく上で「同調」は必要だ。
個を通すために「自分勝手」になって行くのは違う。
しかしこれが「上のもの」の「意思」とかが入ってたら、しかも「イビツに」入っていたら、それでも「周囲に合わす」ことに、後悔はないか?
結局、やってもやらなくてもそれは「その人の判断」
オレはそれを尊重する。
だって、どっちみち「良くは言われねえだろ?」って、世の中ってやつはまあ、例えば「当て逃げする芸能人」と「それを書いて収入を得るもの」が存在するんだ。
この場合、どっちが正しくて、どっちが悪なのか判断できるか?
もし、その両者が「友人」だった場合、お前ならどちらの肩を持つ?
沿う、それが「お前の判断」だ。
それでいい。
おれも年に一度、公共の場である海岸を年に1回「封鎖して」イベントを行ってきた過去がある。
もちろん「全員賛成」だった訳がない。
でも「やってよかった」と、「オレは」思ってる。
1回しかない人生、「あの時やればよかった」と、「後悔」したくねえだろ?
やってみてやってみて、頑張ってやってみて、「ダメだったらやめるだけ」
オレ様が、いい言葉を教えてやろう。
「友人が友人にかける迷惑など、存在しない」
「前乗りの前のりは、前乗りではない」
「お互いSUMMERに愛」
今日は「文化の日」
みんなで生きたこの時代、いい日を過ごそうじゃないか‼️
「大病」で動けない人もいるんだから。
頑張ってくれよ、パイセン。
さあ、今日は晴れるぞ。
「ノンアル」持って、海でもいくかの〜ん!
風吹いたらやめよ。。。
じゃあの